自然保護憲章
憲章本文
自然は、人間をはじめとして生けとし生けるものの母胎であり、厳粛で微妙な法則を有しつつ調和をたもつものである。 人間は、日光、大気、水、大地、動植物などとともに自然を構成し、自然から恩恵とともに試練をも受け、それらを生かすことによって文明をきずき上げてきた。 しかるに、われわれは、いつの日からか、文明の向上を追うあまり、自然のとうとさを忘れ、自然のしくみの微妙さを軽んじ、自然は無尽蔵であるという錯覚から資源を浪費し、自然の調和をそこなってきた。 この傾向は近年とくに著しく、大気汚染、水の汚濁、みどりの消滅など、自然界における生物生存の諸条件は、いたるところで均衡が破られ、自然環境は急速に悪化するにいたった。 この状態がすみやかに改善されなければ、人間の精神は奥深いところまでむしばまれ、生命の存続さえ危ぶまれるにいたり、われわれの未来は重大な危機に直面するおそれがある。しかも、自然はひとたび破壊されると、復元には長い年月がかかり、あるいは全く復元できない場合さえある。 今こそ、自然の厳粛さに目ざめ、自然を征服するとか、自然は人間に従属するなどという思いあがりを捨て、自然をとうとび、自然の調和をそこなうことなく、節度ある利用につとめ、自然環境の保全に国民の総力を結集すべきである。 よってわれわれは、ここに自然保護憲章を定める。 自然をとうとび、自然を愛し、自然に親しもう。 自然に学び、自然の調和をそこなわないようにしよう。 美しい自然、大切な自然を永く子孫に伝えよう。
昭和49年6月5日 |
自然保護憲章制定の経緯第8回国立公園大会(1966年)で「自然保護憲章早期制定」を満場一致で可決。その後、1968年(昭和43年)4月に行われた「自然公園制度のあり方に関する自然公園審議会答申」において、「自然保護憲章」の制定に関する国民運動を推進すべき旨を指摘されたことなどに呼応して、1974年(昭和49年)1月18日に、国民の各界を代表する全国的な団体39団体と32人の学識験者より成る自然保憲章制定国民会議準備委員会が結成、自然保護憲章制度国民会議(森戸辰男議長)が組織され、1974年(昭和49年)6月5日にわが国の全国的組織体149団体で組織する自然保護憲章制定国民会議で全国民的な憲章として制定に至った。 |
発祥の地 JR伯備線・江尾駅から北東に12km、米子道・蒜山ICより北北西に8kmに自然保護憲章の発祥の地がある。
そこは、大山国立公園・鏡ヶ成国民休暇村地区で、第8回国立公園大会が1966年(昭和41)年8月9日から10日の2日間、開催された。この大会で、参加者一同により、自然保護憲章制定促進の決議が採択されたのである。日本中が開発一色に染まっていた高度成長期の1966年、「国立公園の自然破壊を無視して、大会はあり得ない」と地元の登山愛好家が大山の現状を訴えたと言います。 ![]() 鏡ヶ成は 大山隠岐国立公園の中心的存在である大山(だいせん)の主峰の南側に位置しており,烏ヶ山・象山・擬宝珠山に囲まれた 標高930mの盆地状の高原である。「鏡のように平ら」な地形から この地名がついたと言われる。 (清水谷登著「日本に一つしかない石碑(いしぶみ)」を参考にしました。) |